消えるのか忘れるのかを考え続けている。
死について。
意識して考え続け始めたのは小学校2年の夏休みのことだった。
怖くて、でも頭から離れなくて、夏休みいっぱい天井を見て考えてた。
あの頃から同じところをぐるぐると回っている。
私の中では、あの世はある、ということになってる。
希望的でもあるし、確信はないのに確信的でもある。
これは個々に委ねられた自由だと思う。
ないという人もあるという人も、誰にも証拠は出せないから。
で、その上でも、やっぱり死は怖いのである。
まぁどこかで信じられない自分もあるのだ。
死してまだ意識はあるのか。
記憶はどこにいく?
残る?消える?
その時、今の私の記憶がなくなったら。
いつもそこで焦る。
魂の私は大元に還るとも言われているけど、それは消滅ではないの?とか。
最近、ふと思う。
私に前世があるとして、全くそれを覚えてない。
でも今、幸せ、死にたくないくらい幸せ、である。
というそれは、
私に3歳の頃の記憶はほぼない。
その頃というのは朧げな記憶がいつのともわからない状態で少しあるだけに過ぎない。
もっと以前なら、記憶としてはない状態だろう。
でも、今の私はその頃のない記憶を怖いと思わないし、なんならこの先数年経って「今日」というこの日の記憶がなくてもきっと今と同じく「今、幸せ、死にたくないくらい幸せ」なんだろう。
それと同じことじゃないんだろうか。
そうすると私は死について、取り越し苦労なのではないかというくらい心配して怖がっているけど、そんなことしなくても大丈夫なんじゃないかと思ってきた。
本当に、取り越し苦労、なのではないかって。
私という今の個人名の私を来世の私が全く覚えていなくて、消えてしまったり、忘れてしまっても、いつもきっと幸せというそれは在るんじゃないかな。
その時の私が幸せで、死にたくないくらい幸せである限り。
今感じる幸せっていうのは、思ってる以上に大切でかけがえないものなのだなぁ。
と思いながらも、きっとまた死という事についてぐるぐる回り、悩み怖がるのだろうけど。
ここにひとつの私の結論、忘れないように記しておこう。